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新人作家に他ならない川上未映子さんが新潮新人賞の審査員になっていると知り、さすがにこれには、違和感をおぼえた。
これまで黙ってきたことの一例。「読んどいたほうがいい本はなんですか?」と訊かれ、「いわゆる女流を目指すんだったら、せめて尾崎翠は」と答えたら、彼女には字がわからず、代わりに書いてあげたと記憶している。その情景を見ていた人達は少なくない。せまい店の中だった。
暫くして、彼女がブログにて、長年読者であったような調子で尾崎を紹介しているのを読み、驚いた。というか背筋が凍った。
良心的に想像すれば、彼女ははなから尾崎など読んでいて、無学な僕を傷つけないよう、わざと「おさきみどり、どう書くんですか?」と訊いてくれたのかもしれない。
「だいななかんたい?」という誤聴も、わざとだったのかもしれない。
僕は、未熟な人は嫌いではない。むしろ積極的に好きだ。いつも、伸び代のある人達と切磋琢磨していきたいと願っている。
しかし未熟な人に、他者の命運を決する権利があるとは、さすがに思わない。彼らが、自分の立場を脅かしかねない人々を、推すとは、想像しにくいからだ。
中堅作家でもその多くが、審査員へのオファーを断る。金銭的、名声的には、魅力的な話なのだが、公募に応じてくるアマチュアの才能に、うっかり嫉妬してしまうくらいなら、自分の小説を磨きたいと思うもの。
川上さんは「引き受けざるをえなかった」のかもしれない。よって僕が批判している対象は、もちろん個ではない。状況の哀しさである。
こういった違和感の表明を、作家の多くは避けたがる。誰かの恨みをかい、審査員になるチャンスを失ったりすれば、それは困ると感じるからだろう。でも、どんなに貧しくとも、死ぬまで、一人の物書きでありたいと願っている僕には、そうする権利も、また義務もあろうと感じる。
小説は文化であり、なべて文化は枯れやすい花である。命を削って、その花圃の番人の一人であり続けてきたという自負が、僕にはある。
かつて、「自死した二階堂奥歯と比して、まだ生きておられる川上さんを推さないのは、バランスを欠く」とし、川上さんの最初のエッセー集への支持を表明した。こっちの人は評し続けられるから修正が効く、といった意味である。
「どうしたら芥川賞をとれますか」という川上さんの質問に、「一頁めに『ちんこ』か『まんこ』という言葉を入れたら」と僕は答えた。その通りにして、彼女は受賞なさった。
虚しい。短期ではあったが、一編集者として「信ずる文学」を支えようとなさっていた、奥歯さんが懐かしい。
【追記】作家・川上未映子さんが、この文章のみをリンクされ、いささか迷惑を被っております。リンクで跳んでこられた皆様におかれましては、一般の方々の御意見をふくんだ前後もお読みくださいますよう、宜しくお願いいたします。(津原泰水)
http://6020.teacup.com/tsuhara/bbs
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